「NISA貧乏」報道への違和感:20年投資家が無策より遥かに合理的だと考える理由

はじめに

最近、ニュースやSNSなどで「NISA貧乏」という言葉を目にする機会が増えました。

記事の見出しや内容を見ていると、NISAの非課税投資枠を早く埋めるために、日々の生活費を極端に切り詰めて困窮している人物に焦点を当てているものが目立ちます。中には、あたかもNISA口座を利用した投資そのものが生活を破壊する悪であるかのような論調すら見受けられます。

こうした記事を書くメディア側の意図が、単なる閲覧数(PV)稼ぎのためのセンセーショナリズムなのか、それとも本気で投資に懐疑的なのかはわかりません。ですが、少なくとも資産形成の本質を捉えたものではないと感じています。

私は2004年から株式投資を始め、リーマンショックやコロナショックを経験しながら20年以上市場に向き合ってきました。2026年5月には総資産1億円を達成し、現在は年間約130万円(税引後見込み)の配当を得ながら、守りの資産形成フェーズへ移行しています。

そうした20年以上の投資経験から見ても、最近の「NISA貧乏」報道や、それに付随して語られる「若いうちの経験にお金を使え」という言説には強い違和感を覚えます。

投資をするかしないかは個人の自由ですが、将来の社会保障やインフレを見据え、若いうちから計画的に人生を設計して資産形成に向き合う行動は、無策のまま歳を重ねることに比べて遥かに合理的で賢明な判断です。

今回は、世間の「NISA貧乏」報道のからくりと、なぜ若い時期からの資産形成が無策より圧倒的に優れているのかについて、論理的に整理してみたいと思います。

メディアが描く「NISA貧乏」の構図とPV稼ぎのからくり

メディアが好んで取り上げる「NISA貧乏」の典型例は、次のような極端なストーリーです。

  • 手取り20万円なのに毎月10万円以上を無理に積立投資に回している
  • 食費を削りすぎて毎食もやしやパンの耳ばかり食べている
  • 友人との付き合いや結婚式の参列をすべて断り孤立している
  • 投資枠を埋めることだけに執着して日々の幸福度が下がっている

こうした事例を読めば、誰でも「そんな極端な生活は本末転倒だ」と感じるはずです。

しかし、冷静に考える必要があります。これは日本全国のNISA利用者の実態を正しく反映したものなのでしょうか。

公的な統計や各種金融機関の調査データを見ても、多くの個人投資家は手取り収入の1割から2割程度、毎月数万円といった無理のない範囲でコツコツと積立を続けています。家計を破綻させてまで投資に突っ込んでいる人は、ごく一部の極端なケースに過ぎません。

ではなぜ、メディアはそうした特殊な事例ばかりを大きく取り上げるのでしょうか。

理由は単純で、「普通の会社員が適切な範囲で積立投資を行い、着実に資産を増やしています」という記事では読者の興味を引けず、PV(ページビュー)が稼げないからです。

メディアのビジネスモデルは、多くの人の注目を集めて広告を表示させることです。そのためには、人々の不安を煽るか、流行しているものに対して逆張りの批判を展開するのが最も手っ取り早い手法になります。

「NISAで人生が豊かになる」という話よりも、「NISAのせいで生活が苦しくなった」というネガティブな失敗談のほうが、人間心理としてクリックされやすい性質を持っています。

つまり、「NISA貧乏」という煽り記事の多くは、メディア側の商業的な都合によって作られたフィクションに近い切り取り報道であると捉えるのが自然です。

そもそも「お金が消えた」わけではないという大前提

「NISA貧乏」という表現自体にも、根本的な認識の歪みがあります。

日々の生活費を使ってしまう「消費」や「浪費」の場合、使ったお金は手元から完全に消滅します。外食や娯楽、不要な買い物に使ったお金が戻ってくることはありません。

しかし、NISA口座で投資信託やETFを購入した場合、手元の現金は減りますが、それはお金が消えたわけではありません。

現金という形態から、世界中の優良企業や株式市場に連動する「流動性のある純資産」へと置き場所を変えただけです。

NISA口座にある資産は、いざとなればいつでも数日で売却して現金に戻すことができます。生活防衛資金を別に確保していれば、純資産は着実に積み上がっている状態です。

給与から投資に回した結果、財布の中の使える現金が一時的に少なくなった状態を指して「貧乏になった」と表現するのは、家計簿のキャッシュフローと貸借対照表(バランスシート)を混同した、金融リテラシーの欠如による錯覚に過ぎません。

将来のために資産を積み上げている人を「貧乏」と呼び、手取りを毎月すべて使い切って資産ゼロのまま過ごしている人を「豊かな生活」と見なすような風潮は、論理的に破綻しています。

「若いうちの経験・自己投資」という耳触りの良い罠

NISAや投資を批判する際、決まって持ち出されるのが「若いうちにしかできない経験にお金を使え」「自己投資こそが最高のリターンを生む」というフレーズです。

一見するともっともらしく聞こえるこの言葉ですが、本当にそうでしょうか。

世間で言われている「若いうちの経験」の中身を具体的に見てみると、次のようなものが大半を占めています。

  • 頻繁な飲み会や合コンへの参加
  • 流行の服やブランド品の購入
  • 見栄のための高級車や最新ガジェットの購入
  • 映えを目的とした旅行やレジャー

これらは人生の息抜きや娯楽としては否定しませんが、本質的にはただの「消費・浪費」です。それを「若いうちの経験」という美しい言葉で包み直すことで、お金を使っている自分を正当化しているに過ぎないのではないでしょうか。

また、「自己投資」という言葉についても同様です。

もし本当にそれが「投資」であるならば、投資に見合った期待リターン(ROI)や回収計画を論理的に説明できる必要があります。

資格取得やスキルアップによって昇給・転職を果たし、生涯賃金を数千万円増やすといった具体的な見込みがあるなら、それは立派な人的資本への投資です。

しかし、「自己投資」と言いながら高額な情報商材を買ったり、目的の曖昧なセミナーに通ったり、ただ人脈が広がるような気がする交流会に顔を出したりして、何のリターンも得られていないケースは少なくありません。

仮に、自己投資を熱心に語る人に「その支出によって具体的に年収がいくら上がり、何年で回収できる計画ですか?」と論理的な根拠を尋ねて、明快に答えられる人がどれほどいるでしょうか。

さらに言えば、本物の自己投資は、必ずしも多額のお金を浪費する必要はありません。

専門書を何十冊も読み込む、プログラミングや実務スキルを手を動かして習得する、仕事で責任あるタスクに手を挙げて成果を出す、日々の運動と睡眠で健康な身体を維持する。

これらは数千円から数万円の書籍代や日々の努力で十分に実現可能であり、NISAへの積立投資と何ら矛盾することなく両立できます。「投資をするなら経験ができない」「経験をするなら投資はできない」という極端な二項対立自体が、誤った前提に基づいています。

無策で迎える老後リスクと、計画的な人生設計の合理性

投資を行っている若年層を批判する前に、彼らがなぜそこまで真剣に資産形成に向き合っているのか、その背景に目を向ける必要があります。

現在の日本が直面している状況は、決して楽観できるものではありません。

  • 少子高齢化に伴う公的年金の給付水準低下(マクロ経済スライドによる実質減額)
  • 医療費や介護費用の自己負担割合の引き上げ
  • 社会保険料や各種税負担の継続的な増加
  • インフレーションによる預貯金の実質的価値の目減り

かつてのように、会社に勤め上げて退職金を貰い、公的年金だけでゆとりのある老後を送るというモデルは、すでに崩壊しています。国自身が「貯蓄から投資へ」と旗を振り、新NISAのような強力な非課税制度を用意したこと自体が、公的保障だけでは限界があることの裏返しです。

こうした現実を冷静に受け止め、「何もしないまま無策で歳を重ねたら、将来まともな生活が送れなくなる」と危機感を抱くのは、極めて正常で合理的な感覚です。

何の手も打たずに給料を使い切り、40代、50代、あるいは定年退職を迎えてから「お金が全く足りない」と途方に暮れることこそが、人生における最大の破綻リスクです。

若い時期から生活水準を適切にコントロールし、毎月の余剰資金を非課税口座で世界経済の成長に投じる習慣を身につけている人は、無策な人たちに比べて遥かに人生の主導権を握っています。

20年・1億円達成した投資家として振り返る「若き日の選択」

私自身、2004年に20代半ばで株式投資を始めました。

当時はNISAのような便利な非課税制度はなく、特定口座で税金を払いながらの投資でした。周囲の同年代が車を買ったり、派手なレジャーや飲み会にお金を使ったりしている中で、私は生活費をコントロールし、毎月の給与から地道に投資資金を捻出していました。

もちろん、たまには友人と食事に行ったり、必要な本を買ったりはしていましたが、見栄のための消費や意味のない浪費は徹底して避けていました。

その結果どうなったか。

20代から30代にかけて投じた資金は、リーマンショックの暴落を乗り越え、世界経済の成長と複利の力によって大きく膨らみました。そして2026年5月、総資産1億円に到達しました。

現在、ポートフォリオ全体からの年間配当金は税引後見込みで約130万円あります。私の毎月の基本生活費は約25万円(年間300万円)ですので、生活費の4割強が配当だけで賄える計算になります。

では、若い頃に派手な消費を我慢して投資に回したことを、今の私は後悔しているでしょうか。

後悔など1ミリもありません。むしろ、あのとき無駄な消費に流されず、愚直に資産形成を始めた自分に心から感謝しています。

若い頃の「数万円の節約」と「投資への入金」は、時間という最大の武器を得て、40代以降の人生に圧倒的な自由と選択肢をもたらしてくれました。

体調を崩したときにも焦らず療養できる精神的余裕、会社に依存しすぎずに生きていける安心感、親の介護や扶養が必要になったときにも金銭的に支えられる基盤。これらはすべて、若い頃からの計画的な投資の積み重ねがあったからこそ手に入ったものです。

あの一時的な飲み会や見栄の消費を我慢した代償として得られたリターンは、比較にならないほど巨大でした。

極端な無理を避けるためのバランス感覚

ここまでNISA投資の合理性を述べてきましたが、一つだけ注意すべき点があります。

それは、メディアが煽るような「生活防衛資金すら持たずに全財産を投資に突っ込むような極端な行動」は避けるべきだということです。

投資は、生活の破綻と隣り合わせで行うものではありません。

私が20年以上実践し、今も守り続けているルールは明確です。

まず、病気や失業、急な出費に備えて、生活費の2年分に家電買い替え積立などを加えた現金(私の場合は約650万円)を「生活防衛資金」として銀行預金に確保しています。

その上で、毎月の給与から生活費と予備費を差し引いた余剰資金を投資に回しています。

もし投資によって日々の暮らしが極度に困窮し、心身の健康を損なったり、突発的な支出に対応できなくなったりしているなら、それは「投資そのものが悪」なのではなく、「現金とリスク資産の配分バランス(アセットアロケーション)の調整不足」です。

新NISAの年間投資枠(360万円)や生涯上限(1,800万円)を最短で埋めること自体を目的にする必要はありません。手取りの15%でも20%でも、自分の生活リズムを崩さずに淡々と続けられるペースを見つけることが、長期投資を成功させる唯一の秘訣です。

まとめ

世間の「NISA貧乏」というニュースを見て、不快に感じたり、自分の資産形成に迷いを感じたりした投資家の方もいるかもしれません。

ですが、そうした雑音に惑わされる必要は全くありません。

メディアはPVを稼ぐために極論を報じ、無策で消費を続ける人たちは自らの行動を正当化するために「若いうちの経験」という言葉を使います。

しかし、未来に訪れる現実の重みを受け止め、自らの手で未来の安心と自由を築こうとしているあなたの行動は、無策のまま流される人生よりも遥かに論理的であり、賢明な判断です。

生活防衛資金をしっかり確保し、日々の生活を破綻させない範囲で、淡々と自分のペースで投資を続けていくこと。

その積み重ねが、10年後、20年後のあなたに、何物にも代えがたい大きな安心と自由をもたらしてくれるはずです。

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